「弱さの露出」

自分が持っている欲求に対して、自分そのものが薄っぺらすぎる、そういうことを成人してからよく感じる、何になりたかった訳ではないが、今の自分になりたかった訳ではない、そういう悩みを映画や漫画で見かけることは多かったが未成年の時はよくわからなかった。

成人するまでの二年間と、なってからのこの一年、合計して三年程、私はヒキニートをやっている、人とコミュニケーションする機会が減り、自己との対話の時間が増え、それが自分の解像度を高めてしまっている。今まで曖昧だった自分の不器用さや思考の癖が強調されていく、自分について考えなくても、人生の登場人物が減ることで、自分と言う存在が自己の中で強調されて行く。思い出の比重が自分によっていく、思い出を遡っても自分しか出て来なくなる。

何かの被害者みたいな文章だが、全部、自業自得の産物だ、誰が悪いわけじゃない。ただ弱さを露出させたいだけだ。いつも宙ぶらりんに存在してる自分の不器用さや醜さを、どこかで利用してやらないと、本当にただの貧乏くじみたいになってしまいそうで、怖いからだ。こうやって何か文章を書くきっかけにでも使ってやらないと、と。

最近、ツイッターをまた見るようになった、怖い場所になっていた、インターネットは昔から怖い場所ではあるが、自分から踏み込みにいかなければ大丈夫、苦しい物を見なくて済むと、そういう意識でいた。ツイッターは安全圏の範囲にあるSNSだった、アルゴリズムの最適化で、ユーザーが見たい物をおすすめに出すようになったからなのか、心が後ろ向きになるようなツイートばかりが出てくるようになった。学生時代の出来事の再評価だったり、世間が認知していない新しいコンプレックスの種類についての発表だったり、私のようなものを揶揄する物ばかりだった。

心のよりどころをインターネット以外に持ちたい、怠惰が故に映画や音楽、ゲーム、漫画などのコンテンツ摂取を怠ってきたが、そういった娯楽の中に自分の心のより処を一つ持っておきたい。それが今日の結論だ。